
深町隼輔
Shunsuke Fukamachi深町隼輔の半生「ALBUMは美容師人生の集大成」
深町隼輔 (SHUNSUKE FUKAMACHI)

PROFILE:
@album_shun 23歳(1999/1/23)
大村美容ファッション専門学校 福岡県出身。
趣味は美容。休みの日も撮影・練習。寝ても覚めても美容師漬け。
好きなアーティストはRedVelvetなど。
工業高校 電気工学科を卒業。
では深道さん、よろしくお願いします!
深町です!
やめてくださいよ… お客さんからもたまに言われます(笑)
やってみたかったやつ(笑) 思春期はどんな子どもでしたか?
中学から野球をやり始めました。30人くらいのチームで弱小だったんですけど(笑) わりと一生懸命やっていたので内野手のレギュラーでした。原則坊主にしないといけないんですが、別に坊主にしなくてもいいような感じの学校だったのでそこは恵まれていたなと思います。その後、高校に入学したら野球は辞めました。坊主が嫌だったので(笑) 当時は前髪がくせ毛なんですけど、前髪をスパンッて矯正かけるのがカッコいいと思ってたので当ててました。その時は福岡にCherry_fukuokaというセレクトショップがあって、そこのボスに憧れてファッションにも興味を持つようになり、そこからずっとストリート系の服が僕のルーツです。高校は工業高校の電気工学科というところに進学しました。
どうして工業高校に行こうと思ったんですか?
大学行って勉強したくなかったからですね(笑)。勉強が嫌いだったんですよ、、特に英語ですね。小さい頃から公文とか行ってたので、周りから見たら学力はまあまあって感じだったんですが、お姉ちゃんが行ってたから行かされてただけで自分的に全然好きになれなかったんですね。なので高校卒業して就職に有利な工業高校を選びました。この時はまったく美容師に興味がなくて、父親が大手鉄道会社だったので、自分も同じ鉄道関係の仕事や電力会社に就くんだろうなぁと思ってました。親もそう思っていたと思います。でも工業高校の実習(インターン)で3日間くらい夏場に屋上で長袖着て点検作業をするみたいな仕事があったんですね。もう暑すぎて、、、その時にこれ仕事にするの無理だな、って思いました(笑) 汗かくのって大嫌いなので(笑)
そこから進路が断たれてどうしようってなったときにSHOHEIさんというYOUTUBERのメンズセットの動画に出会います。そこからヘアセットにハマって延長線上にあった美容師に必然的に興味を持ちましたね。美容師って室内で働けるし、私服で働けるし、そんな単純な動機です(笑) その後、活躍している美容師さんを調べているうちに、ACROSSの松本拓馬さんやOCEANの高木琢也さんに行き着いて。OCEANは僕が高2くらいの時めっちゃ流行ってたんですよ!当時、高木さんが技術売上1,200~1,300万だっていうことを知って、その当時は生意気だったんで「同じ人間ならいけるんじゃね?」「美容師稼げるやん!」って思って美容専門学校に進学することを決意しました。今考えたら恐れ多いですけど(笑)
負けず嫌いは学生時代から。
その後、地元の大村美容に進学したのはなぜですか?
はじめは上京して高木さんと同じ早稲田美容とかも考えたんですが、親にも東京行って1人暮らしをすることの大変さを諭され、お金を出してもらうのも親なので地元の学校に進学することにしました。その当時、WEBで『福岡 美容専門学校』って調べたら一番上に出てくるのは「大村美容」だったんですよ。だからここでいいや、ってなったのがきっかけです(笑) ただオープンキャンパスに行ったんですけど、想像以上にめっちゃお洒落な人がたくさんいて、当時好きだったストリート系ファッションを着た先輩たちもいて、ここがいいなって確信しました。今でも心の底から大村美容を選んだことは正解だったなと思いますよね。お洒落なだけでなく、社会人としての基礎を叩き込んでもらったというか、、厳しめの学校なので「挨拶」とか「礼儀」とか当たり前のことを当たり前にできるようになりましたね。また技術面でも「技術は回数」っていう校訓があるので1日に1000本WD巻いたり、とにかく練習して実践して学べ!という方針なのでそれが僕に合ってたと思います。

美容専門時代はどんな学生でしたか?
皆勤賞で真面目に練習に取り組む学生でした。モチベはただただ負けるのが嫌だったからですね。負けるのがとにかく嫌でめっちゃ練習してましたね。隣の人が褒められてるのを見るとムカついたりして、、全員参加の校内コンテストでは表彰されたりされなかったり。されなかった時には周りには平然を装ってましたが、裏ではとんでもなく悔しかったです。サスーンの大会にも真剣に取り組んでいました。全国1位を目指していて半年間毎日、朝から晩まで練習しまくって、学校代表にはなって全国の切符は手にしたんですが、全国の本番ではカットが全然うまくいかなくて入賞すらできなかったんです。その時はじめて誰にも見せず号泣しました。でも10分後には絶対越えてやろうって強い思いをまた持っていました。美容が大好きなんですよ。生涯美容!といってもいいです。でも好きだから負けず嫌いかというと、好きなこと以外でも負けず嫌いですね(笑) バイト先でもそうでした。居酒屋とかピザのデリバリーとかやってましたが、居酒屋でもいかに効率よく回せるかを追求してましたし、デリバリーではいかに早く帰ってこれるかとか至る所で負けず嫌いを発揮してました。

大手サロンから尊敬するスタイリストのところへ師事。
卒業後に上京したサロンは?
専門時代から東京のとあるスタイリストさんが大好きでした。そのサロンはTwitterで見つけたんですが、「赤坂」のサロンだということで予約したんです。実は福岡にも「赤坂」ってあるんでそっちだと思ってたら、予約してからまさかの東京で・・・(笑) それでも都内へ行ってみたら、その方と話の馬がとても合って、2か月に1回はバイト代を全部使って都内サロンに通っていました。本当に尊敬していたので、そこ1本で将来を考えていて、卒業したらその方の元で働こうと決めてたんですけど、途中で「今はまだ雇える状況じゃない」ということになったんです。
そこから急ピッチで仕切り直しになりましたが、まずは上京できて、福利厚生がちゃんとしていて、技術がしっかりしている大手サロンに入社しました。今と同じ、銀座店に配属されましたね。でもはじめからいずれは尊敬する方の元へ行こうと決めてました。
1社目は結局、9ヶ月で退社することになったんですが、この1社目の大手サロンでは本当に練習をしていました。今なんて比にならないくらい練習してましたね。朝は7:30に出勤して夜は終電まで練習して、、休みの日も当然のごとく、出勤してお店で練習していました。アシスタント200人のシャンプーコンテストで1位になったこともありましたね。とてもいい会社だったと感謝しかありません。先輩方もくそ朝早いのに、練習を見てくれたり、恵まれていたなと実感してます。
その後、尊敬する方のサロンへ師事したんですか?
はい。ようやくその方もアシスタントを付けることを決意したので働けることになりました。休みの日もないようなものでしたが、それは自分が望んだことなので全然苦じゃなかったですね。表向きはその方のアシスタントだったんですが、毎日ブリーチやカラーをやって、1人でやっていたので実質は僕がカラーリストのような感じでした。デビューとかの概念がなくて、振り返って考えると9ヶ月くらいでもうデビューはしていたようなものですかね。。。営業後は一緒にYOUTUBEの編集に立ち会わせてもらったり、その方には本当にたくさんの経験をさせて頂きました。
そんな日々の中で充実感を覚えていたんですが、途中からこのままでいいのか…?と思い始めたんです。もちろん独り立ちして成長はしてるけど。やっぱり基本的な技術を習得しておきたいという思いが次第に強くなったんです。特にカットを極めたいと思い、この人の元で自己流で技術を磨いて切り開くか、技術を教わりに行くか。それで悩んで悩んで、、、尊敬する方の元を離れ、技術を磨くため”東京スタイリストアカデミー”という学校に通うことを決めました。

月収7万円。100円のパンのみで食いつないだ日々。
2021年1月に東京スタイリストアカデミー(TSA)に入学しましたが、どうでしたか?
2021年1~3月に僕は3ヵ月コース(週5)で入学しました。学費として総額で60万円ほど払いました。みんなから「高くない?」って言われたんですけど、行ってみて思うのは本当によかったってことですね。お金を払う価値があります。それぐらいに本当に講師の方はカットが上手いし、自分が求めていた技術というものが手に入る学びのある毎日でした。カットの基礎や応用はここで培われましたね。その3カ月間は僕にとって、とても刺激的でしたが、唯一お金の面で苦労しました。
生活が困難で、、、やっぱりお金がないと人間って滅入るんですよね。学校以外はアルバイトをしたり、土日はフリーランスで美容師をやったりしましたが、お客さんもいないし月収は7万円ほど。TSAの近くのドラッグストアで100円のパンを買ってそれを1日かけて食べてました。それくらい貧しい生活をしているうちに段々と病んできて。。楽してお金が手に入る方法はないか、を考えたり鬱屈した気持ちというか、良くないマインドになっていましたね。気付けば人間不信になってしまい、あまり人と関わりたくないと思うようになっていました。
大変な時期ですね。その後TSAを卒業してIT by ALBUM”中野店”で業務委託に。
TSAを卒業後、2021年4月に業務委託としてIT by ALBUM中野店に入りました。面接のとき、
砂川さんが僕のスタイルを見て都内でも十分できるので「銀座店どうですか?」って勧めてくれたんですが、その頃は人間不信だったこともあり、1人でやりたかったんですよね。できるだけ人間関係ないほうがいいなと思って業務委託という形を選び、中野に入りました。中野に入ってみるとフリーでもお客さんがぱんぱんに詰まっていたので、僕にとって中野店は想像以上にいい環境で、その時は中野で骨を埋めるつもりでした。
そんなにですか!それでも銀座店で社員になったのはなぜですか?
僕は20歳の頃からずっと撮影をしていたんですね。モデルさんを見つけて撮影するのが大好きで。中野店に入ってからもよく撮影をしていて、それをインスタにUPしていたらある日、知らない人から「ALBUMの者なんですが、このスタイルめっちゃいいですね!」ってDMが来たんです。僕は誰か分からないけど褒めてくれる方なので「ありがとうございます嬉しいです」って絵文字満載で返信してました。その後中野店で「この人誰ですか?」って聞いたら槙野社長だってことが判明しまして(笑) そこからも社長がインスタでいいね!くれることに嬉しいなって思ってました。その後、とんとん拍子で2021年5月に管理部の営業責任者から「社員になりませんか?」って声をかけてもらえて。そんなつもり全くなかったので、、正直最初は誰かと関わりたくないし、人と関わることに抵抗があったんですが、やっぱり求められると嬉しいですよね。悩んだんですが、2021年6月に銀座店で社員になりました。中野店はわずか2か月で去ることになってしまいましたが。

そこからはじまったALBUMでの美容師人生。インスタはまもなく1万人。
人がたくさんいて、活気がある銀座店はどうでしたか?
2021年6月に銀座店配属になりました。中野店もお客様が詰まっていたので活気があるのはそんなに抵抗なかったですね。むしろお客様は多いほうがいいというか、お客様を施術している時間が本当幸せです。僕はとにかくお客様と関わりたくて、カラーもシャンプーもできればしたいんです。お客様を他の美容師に取られるのが絶対嫌なので。そういうモチベが僕の美容師人生の柱です。
営業面で言うと銀座店はやっぱ「上手い人が多いな」ってひしひしと感じました。それぞれのジャンルで特筆すべき点がありますよね。僕は技術に対しては果てしない向上心があるのでやっぱ技術は見てしまうんですが、伊藤さんとか「めっちゃ上手いな・・・」って思いました。伊藤さんは僕の人間不信を払拭してくれた人だと思ってます。最初は心開けてなくて、他人の言葉にはあまり耳を傾けなかったですが、心を開いてみようって思えた人ですね。そこから僕のインスタを拡散してくれたりして、今、僕のインスタが伸びてきているのも全部伊藤さんのおかげだなって思ってます。すでに知っている人が多いと思いますが、伊藤さんはほんと凄い人です。
それでは最後に今後の深町さんについて教えてください。
ん-(笑) 正直言うと、僕はほんとに店長になりたいとか、ディレクターになりたいとか、独立願望とか、役職を上げていくとか、そういう向上心がないんですよね。記事的には申し訳ないですけど(笑) とにかく1度でも施術させて頂いたお客様は全員逃したくないという気持ちです。これだけは誰よりも強いし、お客様に満足してもらうために「もっと上手くなりたい」とかそういう向上心は果てしなくあります。でも壮大なこと言うと、やっぱり20代のうちに美容業界に名を轟かせたいですね。誰に聞いても「深町」って聞いたら「あのALBUMの!」ってなるようにしたいです。そういう意味ではディレクターなどを目指すというのも名を轟かせる一つの方法だと思いますが。
僕は今までどの会社で働いても、全部良い会社に出会ってきたと思います。ALBUMは報酬面でも営業面でもちゃんとやっている人は評価される会社だと思うんですよ。指名売が上がれば報われる、それが良い点です。僕は「表だけ」って人、好きじゃないんですよ。やってない人がずっと上にいたり、政治的に優遇されてたり。「裏でもちゃんとやってる人」が報われるというのはALBUMの良いところですよね。

最後にあなたにとってALBUMとは?
“自分を取り戻せた場所”です。
1人で殻にこもってた病んでた時期も、救われました。今まで自分がやってきたことが間違っていなかったと思わせてくれた場所です。
編集後記
この半年、深町さんのインスタを見ていて思うのは「この人ガチだな」ってこと。量産される投稿はどれも質が高く、丁寧で、分かりやすい。このペースでいつ撮ってるの?レベル。インスタはあくまでリアルサロンワークの延長線。日々の営業でどれだけのお客様を幸せにしているかが伝わってくる。「今自分がやっていることが好きであるかどうか。それさえあれば自分を磨こうとするし、常に前に進もうとする自分がいるはず。」(イチロー) まさにこんな人だ。